みなさんも「カーボンニュートラル」という言葉を耳にしたことがあるかと思います。カーボンニュートラルとは、「温室効果ガスの排出を実質ゼロにする」ことを意味します。排出した分だけ、植林や再生可能エネルギーの活用などで吸収・除去し、全体としてプラスマイナスゼロにする考え方です。
世界中でカーボンニュートラルの実現が叫ばれる中、日本でも2050年までにカーボンニュートラルを目指す方針が示されています。ですが、「どうやって?」という疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。
その答えの一つが「排出量取引」です。この記事では、カーボンニュートラルの実現に欠かせない排出量取引の仕組みや実際の事例、そして私たちの生活やビジネスにどんな影響があるのか、解説します。
排出量取引の流れと2つの方式
排出量取引には大きく分けて2つの方式があります。それぞれの特徴を見ていきましょう。
- キャップ・アンド・トレード方式:政府や自治体が全体の排出上限(キャップ)を設定し、企業ごとに排出枠を割り当て、枠内で取引する方式。
- ベースライン&クレジット方式:削減努力が行われなかった場合(ベースライン)と比較し、削減努力によって生まれた削減量を「クレジット」として取引する方式。
キャップ・アンド・トレード方式
キャップ・アンド・トレード方式では、まず国や自治体が「今年はCO2排出量を基準年の90%までに抑えよう」といった目標を設定します。その上で、各企業に排出枠を配分します。
排出枠の配分方法には、3つの種類があります。
- グランドファザリング方式:過去の排出実績に応じて配分
- ベンチマーク方式:事業ごとの生産物や技術に着目し、生産量あたりの望ましい排出量を基準に配分
- オークション方式:排出枠をオークションで有償配分
企業は割り当てられたり購入したりした排出枠の範囲で排出量を管理し、超過した場合は市場で不足分を購入し、逆に枠が余った場合は売却できます。
キャップアンドトレード方式の排出権取引の事例としては、東京都が実施する「総量削減義務と排出量取引制度」や、日本国政府が実施するGX-ETS、EUにおけるEU-ETS(欧州連合排出量取引制度)などがあります。
参考:国内排出量取引制度 | 国内排出量取引制度(キャップ・アンド・トレード)(環境省)
参考:排出量取引制度について 資料2(環境省)
ベースライン&クレジット方式
ベースライン&クレジット方式は、再植林やクリーンエネルギー導入などの排出削減プロジェクトが実施された時とプロジェクトが実施されなかった時(ベースライン)の差分を「クレジット」として認証し、売買するシステムです。削減努力をした企業がクレジットを発行し、他社が購入して自社の削減量として計上できます。
この方式は、事業者に柔軟性を持たせながら環境への取り組みを促進させる仕組みとして機能しており、日本の「J-クレジット制度」や後述する海外のボランタリークレジット(ゴールドスタンダード、VCS)が有名です。
どうして排出量取引が必要なの?
カーボンニュートラルを目指すうえで、すべての企業や国が一律に排出削減を進めるのは現実的ではありません。なぜなら、業種や規模、技術力によって1単位の排出量を減らす削減コストが大きく異なるからです。
排出量取引を導入することで、
- 削減コストが低い企業が積極的に排出削減し、余剰枠を売却
- 削減が難しい企業は、枠を購入して経済活動を維持
というように、社会全体で削減コストが低い企業が積極的に排出量を削減することで、効率的に温室効果ガスの排出量を減らすことができます。

排出量取引の対象となる企業・業界とは?
排出量取引は、すべての企業が一律に対象となる制度ではありません。制度の実効性を高めるため、排出量が多く社会的影響の大きい企業・業界を中心に設計されています。ここでは、排出量取引の対象となりやすい企業の特徴を整理します。
排出量取引の直接的な対象となる企業
多くの排出量取引制度では、発電事業者や鉄鋼、化学、セメント、石油精製など、エネルギー多消費型の産業が主な対象となります。これらの業界は排出量の把握が比較的容易で、制度による削減効果が大きいため、優先的に組み込まれています。
中小企業や非対象業種への間接的な影響
制度上の義務対象でなくても、排出量取引は中小企業や非対象業種にも影響します。取引先企業が排出削減を進める中で、サプライヤーにも排出量データの提出や削減努力が求められるケースが増えているためです。
今後対象が拡大する可能性
海外事例では、当初は大規模排出源に限定されていた制度が、段階的に対象業種を広げてきました。日本でも今後、対象範囲が拡大する可能性があり、現時点で対象外の企業にとっても無関係とは言えません。
日本と世界の排出量取引の事例
日本の最新動向とGX-ETS
日本では2026年度からGX-ETS(Green Transformation-Emissions Trading System)という国内排出量取引制度が本格導入されます。GX-ETSは、前述したキャップ・アンド・トレード方式に基づいており、政府が排出枠を企業に無償で割り当て、企業は余剰枠の売却や不足分の購入を行い排出量を管理します。
scope1に当たるCO2の直接排出量が直近3年間で10万トン以上の法人が対象となり、対象企業は、毎年度、排出実績と等量の排出枠の償却が求められます。義務化対象企業は、300~400社にのぼるとされています。
参考:GX実現に資する排出量取引制度の検討の方向性(内閣官房GX実行推進室)
世界の取り組み:EU-ETSの進化
EUでは、2005年からEU-ETS(欧州排出量取引制度)が導入されており、世界最大規模のETSとして他国・他地域から制度設計の参考にされています。EU-ETSは、GX-ETSと同じくキャップ・アンド・トレード方式に基づいており、政府が全体の排出上限を設定し、企業ごとに排出枠を割り当てます。
当初は、多くの化石燃料を燃焼させる発電所や産業など排出量が多い業種が対象だったものの、近年では建物や道路輸送、その他の小規模産業など、その他多くの企業が対象になることが決まりました。
参考:EU ETS(JETRO)
関連記事:脱炭素社会の実現に向けた取り組み:各国の最新動向と日本企業の挑戦
主な海外のボランタリークレジット
海外で流通しているボランタリークレジットには、主に以下の種類・認証制度が存在します。これらは政府主導ではなく、民間やNGOが独自基準で発行するカーボンクレジットであり、企業の自主的なカーボンオフセットやESG経営の一環として活用されています。
名称(略称) | 運営団体・特徴 |
|---|
Verified Carbon Standard(VCS) | 米Verraが運営。世界最大の取引量を持つ。森林保全、再エネ、農業、工業、廃棄物など多様なプロジェクトが対象。 |
Gold Standard(GS) | WWFなど国際NGOが設立。CO₂削減だけでなく、持続可能な開発や社会的便益も重視。再エネや水資源、コミュニティ支援など幅広い分野。 |
American Carbon Registry(ACR) | 米国で最も歴史のある認証制度の一つ。森林、農業、再エネ、メタン削減など多様なプロジェクトが対象。 |
Climate Action Reserve(CAR) | 米国カリフォルニア州を中心に展開。主に北米の森林、農業、廃棄物処理などのプロジェクトが対象。 |
その他の特徴
- 発行主体の多様性:NGO、企業、団体、個人など民間主導で発行され、法的拘束力はありませんが、国際的な信頼性と透明性が重視されています。
- 対象プロジェクトの幅広さ:再生可能エネルギー、森林保全・植林、農業、廃棄物管理、メタン削減、湿地保全など多岐にわたります。
- 利用企業の例:フォルクスワーゲン、グーグル、メルセデス・ベンツなど、欧米の多くの大手企業が活用しています。
海外のボランタリークレジットはそれぞれ対象分野や発行基準に特徴があり、いずれも企業の自主的な脱炭素経営や、国際的なカーボンオフセットに広く利用されています。
排出量取引とカーボンオフセット・環境価値の違い
排出量取引と、カーボンオフセットや環境価値の活用は、いずれも脱炭素に関わる仕組みですが、目的や使われ方は若干異なります。ここでは、それぞれの違いを整理し、正しい使い分けを理解します。
排出量取引の位置づけ
排出量取引は、国や地域が排出上限を設定し、その枠内で企業に排出削減を促す制度的な仕組みです。企業は排出枠の売買を通じて、法令や制度上の義務を達成することが求められます。
カーボンオフセット・環境価値の活用の役割
カーボンオフセットや環境価値の活用は、再生可能エネルギーや森林保全などによって生まれた削減価値を購入し、自社の排出量を補完する自主的な取り組みです。多くの場合、法的義務ではなく、企業の任意対応として活用されます。
なぜ混同されやすいのか
いずれも「排出削減に貢献する」という点は共通していますが、排出量取引は制度による目標の管理がベースであり、オフセットや環境価値の活用は市場を通じた補完活動という違いがあります。排出量取引を軸に、自社努力と環境価値を組み合わせることが、現実的な脱炭素戦略となります。
排出量取引のメリット・デメリット
排出量取引のメリット・デメリットには、以下のものが挙げられます。
メリット
- 効率的な削減:削減コストが低い企業が積極的に排出削減し、全体の効率化が図れます。
- 新たな収益機会:省エネや再エネ導入で余剰枠を生み出し、売却による収益を得られます。
- 技術革新の促進:排出削減のための新技術開発やカーボンニュートラル投資が進みます。
- 市場メカニズムの活用:企業ごとに柔軟な対応が可能となり、経済活動と環境対策の両立が期待できます。
デメリット
- 排出枠の設定が難しい:業界や部門によって適切な排出枠の設定が難しく、価格が不安定になることも。
- カーボンリーケージ(炭素漏れ)のリスク:規制の厳しい国から緩い国へ生産拠点が移転し、地球全体の排出量が増える恐れがあります。
- 不正取引やグリーンウォッシュの懸念:実態の伴わない排出削減が行われるリスクも指摘されています。

まとめと実践的なヒント
最後に、主要ポイントと実践的な活用方法をおさらいしましょう。
主要ポイント
- 排出量取引は、カーボンニュートラル実現のための効率的な仕組み。
- 企業は排出枠の売買を通じて柔軟に対応でき、経済と環境の両立が可能となります。
- 日本でも2026年度から本格導入され、今後はビジネスの現場や私たちの生活にも影響が広がります。
実践的な活用方法
- 企業の担当者は、自社の排出量を正確に把握し、省エネや再エネ投資の効果を見える化しましょう。
- ビジネスパーソンは、取引先やサプライチェーン全体のカーボンニュートラル対応を意識し、情報収集や連携を強化しましょう。
- 一般消費者も、カーボンニュートラルを意識した商品選びやサービス利用を心がけることで、社会全体の変化を後押しできます。
排出量取引制度は、カーボンニュートラル社会の実現に向けた「切り札」とも言える仕組みです。企業は自社単独の努力だけでなく、他社との連携や市場を活用することで、より現実的かつ効率的に排出削減を進めることができます。
みなさんも、カーボンニュートラルと排出量取引の基本を押さえ、今後の社会変化を予期して脱炭素化の推進を検討してみるのはいかがでしょうか。