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【連載】脱炭素経営、はじめの一歩 ―"好き"を強みに変えた印刷会社の挑戦から学ぶ― Vol.3

【連載】脱炭素経営、はじめの一歩 ―"好き"を強みに変えた印刷会社の挑戦から学ぶ― Vol.3

本連載の最終回となる今回は、大川印刷の環境経営を通じて見えてきた新たな経営価値についてお伝えします。企業価値の再定義から、具体的な実践方法まで、これからの持続可能な経営のあり方を探ります。

目次

環境経営が切り拓く新しい企業価値 ―信念に基づく持続可能な経営の実現―

企業価値の再定義 ―環境経営がもたらした変化

「環境経営を始めて気づいたのは、私たちが提供できる価値の幅が大きく広がったということです」

ーー大川印刷の大川社長は、環境経営による最も大きな変化をこう表現します。同社は2004年から本格的な環境経営に取り組み始めましたが、その過程で企業としての価値提供の形が大きく進化してきました。

「当初は再生可能エネルギー100%での印刷という、わかりやすい環境価値の提供から始まりました。しかし、実践を重ねる中で、環境への取り組みは単なる付加価値ではなく、事業そのものを変革する力を持っていることに気づきました」

変化への対応力が生み出す新たな価値

環境経営を進める中で、市場環境も大きく変化してきています。大川印刷では、こうした変化にも柔軟に対応しながら、新たな価値創造を続けています。

「以前は、再生可能エネルギー100%での印刷という点で、私たちは特異な存在でした。しかし今では、同様の取り組みを始める印刷会社も増えてきています。ある意味で、同質化が進んでいるとも言えます」と大川社長は語ります。

ーーしかし、同社はこの変化を前向きに捉えています。

「良い取り組みは広めていくべきです。そして私たちは、さらに先の段階を目指さなければなりません。今は、デジタルと紙の有効活用を通じた社会課題解決という、新しいステージに向かっています」

実践から生まれる具体的な知見

環境経営の実践は、予期せぬ課題や発見をもたらすことがあります。例えば、同社が導入した燃料電池車での経験は、示唆に富むものでした。

「燃料電池車は走行中のCO2排出がゼロで、乗り心地も素晴らしい。ただ、実際に使ってみると、年末年始に水素ステーションが見つからず、わざわざ大田区まで給油、いや給水素(笑)に行かなければならないなど、予想外の課題も見えてきました」

ーーしかし、こうした経験は新たな価値を生み出すことにもつながっています。

「カタログには載っていない実体験に基づく知見があるからこそ、お客様により具体的で実践的なアドバイスができる。それが私たちの強みになっています」

多様な視点からの価値創造

環境経営は、時として思いがけない形で価値を生み出すことがあります。例えば、同社が手がけた「カミシェル®」という名刺用紙の提案事例では、年間約25万トンも廃棄される卵の殻を原材料の一部として活用することで、廃棄物削減とCO2排出量削減を実現しています。さらに、1箱の購入につき1本マングローブへ植樹するというネイチャーポジティブな活動も組み込まれています。

また、参画しているバナナペーパーのプロジェクトは、環境保護にとどまらない多面的な価値を創出しています。

「バナナペーパーの取り組みは、女性の就労支援につながり、それが児童労働の防止、子どもたちの教育機会の確保、さらには学校給食を通じた栄養改善にまで波及しています。一つの取り組みが、様々な社会課題の解決に結びついているのです」

出所:新素材「CaMISHELL®」の名刺を通じて植林しよう!(大川印刷)

「本物」へのこだわり

環境経営を進める中で、大川印刷が特に意識しているのが「オーセンティック(本物)」であることへのこだわりです。

「俳優の真田広之さんが、海外ドラマのエミー賞受賞時に『オーセンティック(本物の・真正の、といった意味)にこだわりました』とコメントされていたことが印象に残っています。私たちも同じように、環境経営において本質的な価値を追求したい。それは例えば、単なるペーパーレス化ではなく、歴史的な資料をデジタル化して後世に残していくこと。あるいは、必要な印刷物については、より質の高い、意味のある形で提供することです」

コミュニケーションの深化

環境経営を進める上で、大川印刷が特に重視しているのが「知覚としてのコミュニケーション」です。

「ドラッカーは『コミュニケーションとは知覚である』と言っています。環境問題について、単に情報を伝えるだけでなく、例えば『このままでは孫の世代が大変なことになる』という実感として理解してもらうこと。そういった深いレベルでのコミュニケーションが重要なのです」

この考え方は、社内外のコミュニケーションに大きな変化をもたらしています。工場見学に来られたお客様からは、「現場の従業員一人一人が環境への取り組みについて自分の言葉で説明できる」点が高く評価されています。

「信念」が導く経営判断

環境経営を取り巻く状況は、グローバルにも大きく変化しています。例えば、一部の大手機関投資家が環境への取り組みを後退させる動きを見せる中、大川印刷は「信念」の重要性を改めて強調します。

「政権交代や短期的な判断で方針を変更する企業もありますが、私たちは『お天道様が見ている』という意識を大切にしています。日和見的な態度では、お客様からの信頼は得られません」

ーーこの姿勢は、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)への対応など、新しい環境課題への取り組みにも活かされています。

「CO2削減の次は、生物多様性への対応が求められています。日本企業のTNFD賛同表明数は世界トップとも言われており、私たちもその流れを先取りする形で、新しい価値を創造していきたいと考えています」

お客様との関係性の変化

環境経営は、お客様との関係性も大きく変化させました。

「以前は『印刷物を作って納品する』という関係が中心でした。しかし今では、お客様の環境課題の解決に向けて、印刷にとどまらない幅広い提案ができるようになっています」

ーーこのような関係性の変化は、具体的な成果となって表れています。例えば、ある企業の社史編纂プロジェクトでは、従来の紙媒体での制作に加えて、デジタルアーカイブ化と環境負荷の可視化まで含めた総合的な提案を行いました。

地域社会との新しい関係づくり

環境経営は、地域社会との関係性も深化させています。

「例えば、私たちのスタジオスペースは、廃材を活用して作られています。このスペースを地域の環境学習や交流の場として開放することで、新しいコミュニティが生まれています」

ーーまた、地域の学校や企業と連携した環境教育プログラムの実施や、地域の環境イベントへの参加など、環境を軸とした地域との接点も増えています。

これからの企業経営に求められるもの

では、これからの企業経営において、環境への取り組みはどのように位置づけられるべきでしょうか。大川社長は次のように語ります。

「環境経営は、もはや選択肢の一つではありません。それは企業が持続的に社会に貢献するための必須条件です。ただし重要なのは、形式的な対応ではなく、自社らしい取り組みを見つけ出すこと。そして、それを経営の根幹に据えることです」

同社の経験から、以下の3つのポイントが特に重要だという示唆が得られました。

  1. 経営理念との統合

    環境への取り組みを単独の施策としてではなく、経営理念や事業戦略と密接に結びつけること。

  2. 具体性と透明性の確保
    取り組みの内容や成果を具体的に示し、その過程を透明化すること。同社の場合、再エネ電力の調達先や使用比率を明確に開示することで、信頼関係の構築につなげています。
  3. 全社的な理解と実践
    環境経営を特定部署だけの取り組みとせず、全社的な理解と実践を促すこと。これにより、新しいアイデアや価値が生まれる可能性が広がります。

サステナビリティ推進担当者へのメッセージ

最後に、サステナビリティ推進担当者の皆様へ、大川社長からのメッセージを紹介します。

「環境への取り組みは、時として困難に直面することもあります。しかし、それは同時に新しい可能性を開く機会でもあります。大切なのは、なぜそれに取り組むのか、その本質的な意義を見失わないこと。そして、できるところから、楽しみながら始めてみることです」

おわりに

環境経営は、企業に新しい価値をもたらす可能性を秘めています。大川印刷の事例が示すように、それは単なる環境負荷の低減にとどまらず、事業の革新、人財の成長、関係性の深化など、多面的な価値を創出する力を持っています。

重要なのは、環境経営を「やらされる」ものではなく、企業の持続的な成長につながる機会として捉えること。そして、自社らしい取り組みを見つけ出し、着実に実践していくことです。それが、これからの時代における企業価値の向上につながっていくはずです。