印刷しない印刷会社への挑戦 ─デジタルと紙の共創が切り拓く新しい価値─
「印刷はいらない、と言われたお客様にも、私たちには提供できる価値があります」
そう語る大川印刷の大川社長の表情は、デジタル化の波に直面する印刷会社の経営者のものとは思えないほど明るいものでした。この言葉の背景には、環境経営とデジタル化の融合という、同社ならではの革新的なアプローチがありました。
「印刷しない印刷会社」という逆説
印刷業界は今、大きな転換点を迎えています。デジタル化の進展により、従来の紙媒体による情報伝達の需要は確実に減少しています。さらに、環境意識の高まりから、紙の使用自体を見直す企業も増えてきました。こうした状況に対して、多くの印刷会社が危機感を抱く中、大川印刷は「印刷しない印刷会社」という一見矛盾した方向性を打ち出しています。
「単に印刷物を作るだけの会社から、デジタルと紙の有効活用を通じて社会問題に取り組む会社へ。それが私たちの目指す姿です」と大川社長は語ります。
ーーこの変革の背景には、同社が長年培ってきた環境経営の視点が生きています。2005年にソーシャルプリンティングカンパニー®という概念を打ち出し、商標登録した同社。その20年後の今、さらに進化した形でビジネスモデルの転換を図っています。
「私たちは明治時代から、印刷というルネサンス三大文明の一つの技術を活用してきました。その歴史と伝統を大切にしながらも、今の時代に求められる新しい価値を創造していく。それが私たちの使命だと考えています」

デジタル化支援の現場から
大川印刷が提供する新しいサービスの具体例として、企業の歴史資料のデジタルアーカイブ化があります。このサービスは、単なるデジタル化にとどまらない、同社ならではの特徴を持っています。
「よく『デジタル化は終わっています』とおっしゃるお客様がいらっしゃいます。しかし、実際にお話を伺うと、それは単にPDFにしただけというケースがほとんど。今の時代、本当の意味でのデジタル活用を考えると、それだけでは不十分なんです」
事例|100年史のデジタル化
この考え方を具体的に示す例として、関東学院の100年史、全1,023ページのデジタル化の例を見てみましょう。
このプロジェクトは、新しく就任した校長先生からの「ラグビー部の記事を書きたいが、1,023ページの中からラグビー部に触れている部分を探すのは困難という相談からスタートしました。大川印刷はこの課題に対して、以下のようなソリューションを提供しました。
まず、1,023ページの資料を45分でデジタル化。その後、2時間30分のOCR処理を行い、全文検索可能な形式に変換しました。結果として、「ラグビー部」というキーワードで検索すると、わずか3箇所の該当箇所が即座に表示されるようになりました。
しかし、同社の提案はここにとどまりません。OCR処理により得られたテキストデータは、AIによる分析や加工も可能な状態となっています。例えば、1,023ページの内容を100ページに要約したり、特定のテーマに関する内容だけを抽出して新しい文書を作成したりすることも可能です。
「データの持つ可能性を最大限に引き出すこと。それが私たちの考えるデジタル化支援です」と大川社長は説明します。
再エネ100%でのデジタル化サービス
大川印刷の特徴は、こうしたデジタル化サービスすべてを再生可能エネルギー100%で実施している点です。この取り組みは、同社の環境経営の理念とデジタルサービスを融合させた象徴的な例といえます。
「デジタル化に伴う消費電力も、自社の太陽光発電と風力発電でまかなっています。これにより、お客様のscope3削減にも貢献できます」と大川社長は語ります。
ーー同社の再エネ活用は非常に具体的で透明性の高いものとなっています。使用電力の約20%を自社の屋根に設置した太陽光パネルで発電し、残りの約80%を青森県横浜市の風力発電から調達しています。この明確な電源構成は、お客様との信頼関係構築にも役立っています。
「電力の再エネ化というと、単に電力会社から再エネ証書を購入するだけの企業も多いのですが、私たちは自社での発電にもこだわっています。『この屋根で発電しています』と具体的に示せることが、お客様との信頼関係構築につながるんです」
紙とデジタルの最適な組み合わせを提案
ただし、大川印刷は決して「完全なペーパーレス」を推奨しているわけではありません。むしろ、紙とデジタルのそれぞれの特性を活かした、最適な組み合わせを提案することに注力しています。
「紙には紙の、デジタルにはデジタルの良さがあります。例えば、デジタルデータは検索性や共有性に優れていますが、重要な原本の保存や展示での活用には紙の方が適している場合もあります。大切なのは、それぞれの特性を理解した上で、最適な組み合わせを見つけること。それが私たちの提案するソリューションです」
ーーこの考え方は、実際の提案でも活かされています。
例えば、ある企業の社史プロジェクトでは、過去の記録をデジタル化して社内での共有や検索を容易にする一方で、記念品として特別な装丁を施した紙の書籍も提案しています。デジタルでの利便性と、紙の持つ価値や魅力を両立させた事例といえます。
また、日常的な業務文書においても、更新頻度の高い資料はデジタル化し、重要な契約書類は紙で保管するなど、文書の性質に応じた使い分けを提案しています。

従業員の意識改革とスキル開発
このような事業転換を成功させる上で重要となるのが、従業員の意識改革とスキル開発です。大川印刷では、印刷技術者がデジタル化支援のスペシャリストとして活躍できるよう、様々な取り組みを行っています。
ーー特筆すべきは、従業員一人一人が環境経営とデジタル化の意義を理解し、自分の言葉で説明できるように育成している点です。
「工場見学に来られたお客様からよく評価されるのが、現場の従業員一人一人が環境への取り組みについて説明できる点です。これは、単に暗記した説明ができるということではありません。自分たちの仕事と環境との関係を理解し、自分の言葉で説明できるようになっているんです」
ーーこの取り組みは、社内のコミュニケーション活性化にも貢献しています。
「環境経営は、部署を超えた協力が必要です。例えば、電力使用量の削減一つとっても、製造現場、提案、管理部門など、全部署が関わってきます。そうした協力体制を築く中で、普段はあまり接点のない部署間でも、自然とコミュニケーションが生まれてきました」

サステナビリティ推進担当者への示唆
環境経営とデジタル化は、一見別々の課題のように見えます。しかし、大川印刷の事例は、この2つを統合的に推進することで新しい価値を生み出せることを示しています。
特に重要なのは、既存の強みを活かしながら新しい価値を創造するという視点です。大川印刷の場合、長年培ってきた印刷技術とお客様との信頼関係を基盤に、デジタル化支援という新しいサービスを展開しています。さらに、環境への取り組みを付加価値として組み込むことで、独自の競争優位性を確立しています。
また、従業員の理解と育成も重要なポイントです。デジタル化や環境対応は、ともすれば「やらされ感」のある取り組みになりがちです。しかし、その本質的な意義を理解し、自分の言葉で説明できる人財を育てることで、より深い取り組みが可能になります。
実際の推進にあたっては、具体的な効果を示すことも重要です。大川印刷では、デジタル化による省資源効果、再エネ利用によるCO2削減効果、さらにはコスト削減効果など、定量的な指標を用いて取り組みの効果を可視化していこうとしています。
脱炭素ビギナーの方へ|今回の記事のポイント
サステナビリティ推進部に配属されたばかりの方にとって、環境対応とデジタル化の両立は難しい課題に感じられるかもしれません。今回の大川印刷の事例から、以下の3つの実践的なポイントを意識していただければと思います。
自社の既存の強みと脱炭素の接点を探る
大川印刷の場合、印刷技術という強みを活かしながら、デジタル化支援という新しい価値を生み出しています。皆様の会社でも、既存の事業やサービスと脱炭素の取り組みを結びつける可能性を探ってみてください。
取り組みの具体性と透明性を重視する
大川印刷は再エネ100%を掲げる際も、自社の太陽光発電が約20%、風力発電が約80%という具体的な内訳を示しています。数値目標を設定する際は、その達成手段まで含めて具体的に検討することをお勧めします。
全社的な理解促進を意識する
環境への取り組みは、特定の部署だけでは完結しません。現場の従業員一人一人が自分の言葉で説明できるレベルまで理解を深めることで、より効果的な取り組みが可能になります。
次回予告
第3回(最終回)では「環境経営が切り拓く新しい企業価値」と題して、環境経営を通じて見えてきた新たな経営価値についてお伝えします。経営判断の軸となる「信念」の重要性や、持続可能な経営のあり方について、具体的な事例とともにご紹介する予定です。