「好き」から始まる環境経営 ―大川印刷は、なぜ2004年に脱炭素に取り組み始めたのか―
「やりたかったからやったんです。好きでやっているやつには敵わないんですよ」
環境経営について語る大川印刷の大川社長の表情は、どこか楽しそうです。昨今、多くの企業が脱炭素経営に取り組み始めていますが、その多くは取引先からの要請や規制対応として始めているのが実情です。そんな中、同社はまだ中小企業による脱炭素の取り組み事例の稀だった2004年の頃から独自の環境への取り組みを続けてきました。
その原動力となったのは、意外にも経営者個人の純粋な興味だったのです。
環境への取り組みは「かっこいい」から始まった
「実は、自然のもので電気が生まれる仕組みがすごく面白くて。今から20年ほど前、アースデイ東京で携帯ソーラー充電器を使ったんです。太陽の光で発電できるなんて、単純にかっこいいと思いました」
ーー当時はまだ珍しかった携帯電話用のソーラー充電器を手に入れ、車で移動中もダッシュボードに置いて発電を楽しんだという大川社長。今でこそ当たり前となった太陽光発電ですが、20年前は「変わり者」と言われるような時代でした。
「当時は周りから『そんなことして何になるの?』とよく言われました。確かに、初期の太陽光発電は効率も悪く、コストも高かった。でも、自然エネルギーで電気が作れることに純粋な感動があったんです」
ーーこの「感動」は、単なる一時的な興味で終わることはありませんでした。むしろ、それは環境技術に対する深い探究心へと発展していきます。
「新しい環境技術に触れると、どうしてもその仕組みや可能性が気になって。技術の進歩を追いかけるのが趣味のようになっていきました。例えば、最近では燃料電池車にも興味を持って導入しましたが、これも同じです。水素と酸素から電気を作り出す。その化学反応自体が面白い。出てくるのは水だけ」
ーーしかし、この「面白さ」は単なる技術的な興味に留まりません。そこには、ビジネスとしての可能性も見えていました。
「環境技術は、使えば使うほど新しい可能性が見えてくる。例えば、ソーラーパネルを導入したことで、電力使用の見える化が進み、結果的に省エネにもつながった。そういった副次的な効果も含めて、環境技術には事業を変革する力があると確信するようになりました」
パイオニアだからこそ分かる、環境経営の「リアル」
環境経営の先駆者として、同社には様々な経験が蓄積されています。例えば、燃料電池車への切り替えを行った際のエピソードは、カタログには載っていない「リアル」な課題を教えてくれます。
「燃料電池車は走行中のCO2排出がゼロで、とても気持ちがいいんです。ただ、実際に使ってみると、燃料補給のインフラ整備がまだまだという現実もある。年末年始に水素ステーションが見つからず、わざわざ大田区まで給油、いや給水素(笑)に行ったこともありました」
ーーただし、大川社長はこうした課題にも前向きです。
「実際に使ってみないと分からない課題がたくさんあります。でも、それを知っているということは、私たちの強みになる。お客様に提案する際も、カタログの情報だけでなく、実体験に基づいたアドバイスができるんです」
ーーこの「実践から学ぶ」姿勢は、同社の環境経営の特徴の一つとなっています。
「よく『環境経営は難しい』と言われます。確かに、取り組み始めると様々な課題に直面します。でも、それは裏を返せば、まだまだ改善の余地があるということ。課題を一つずつ解決していくことで、新しいビジネスチャンスも生まれてくるんです」
「知覚」としてのコミュニケーション―全社的な理解を得るために
環境経営の成功には、全社的な理解と協力が不可欠です。大川印刷では、この点に特に注力してきました。
「ドラッカーは『コミュニケーションとは知覚である』と言っています。つまり、単に情報を伝えるだけでなく、相手が実感として理解することが重要なんです」
ーーこの考えに基づき、同社では環境への取り組みを進める際、常に従業員にとってのメリットを意識してきました。例えば、環境配慮型のインキや溶剤の導入は、その好例です。
「私たちが環境配慮型のインキを導入した際、最初に評価してくれたのは実は顧客ではなく、現場の従業員でした。従来のインキに比べて揮発性有機化合物(Volatile Organic Compounds:VOC)の含有が少ないため、直接作業する従業員のより良好な労働環境という点で大きなメリットがあったんです」

ーーまた、大川印刷では、環境への取り組みを通じて、社内のコミュニケーションも活性化させています。
「環境経営は、部署を超えた協力が必要です。例えば、電力使用量の削減一つとっても、製造現場、営業、管理部門など、全部署が関わってきます。そうした協力体制を築く中で、普段はあまり接点のない部署間でも、自然とコミュニケーションが生まれてきました」
ーーさらに、従業員の成長という点でも効果が表れています。
「工場見学に来られたお客様からよく評価されるのが、現場の従業員一人一人が環境への取り組みについて説明できる点です。これは、単に暗記した説明ができるということではありません。自分たちの仕事と環境との関係を理解し、自分の言葉で説明できるようになっているんです」
こだわりの自社発電―信頼関係を築く具体性
環境経営において、大川印刷が特にこだわりを持っているのが電力調達の方法です。同社では使用電力の約20%を自社の屋根に設置した太陽光パネルで発電し、残りの約80%を青森県横浜町の風力発電から調達しています。
「電力の再エネ化というと、多くの企業は電力会社から再エネ電力を購入するだけで終わってしまいます。でも、私たちは自社での発電にもこだわっています。『この屋根で発電しています』と具体的に示せることが、お客様との信頼関係構築につながるんです」
ーーこの「見える化」へのこだわりは、環境経営全般に通じる考え方です。
「環境への取り組みは、ともすると抽象的になりがちです。でも、私たちは常に『具体的に何をしているのか』を示すことを心がけています。例えば、植樹活動も10年以上続けていますが、単に本数を数えるだけでなく、定期的に生育状況を確認し、その様子をお客様にもお伝えしています」
経営判断における「信念」の重要性
近年、環境への取り組みを後退させる企業も出てきています。政権交代や経営環境の変化によって、環境投資を縮小する判断をする例も見られます。こうした状況について、大川社長は「信念」の重要性を強調します。
「短期的な判断で方針を変えてしまうと、顧客からの信頼を失います。私たちがやっているのは、単なる脱炭素のためではありません。持続可能な社会や地球の形成のため。それは『お天道様が見ている』という意識、つまり普遍的な価値観に基づく判断なんです」
ーーこの「信念」は、具体的な施策にも反映されています。例えば、同社では従業員に対して、環境への取り組みの本質的な意義を常に伝えるようにしています。
「時々、社員に話すんです。『おじいちゃん、おばあちゃんがちゃんとやってくれなかったから、今大変なことになってるじゃないか』って将来の世代に言われないために何ができるか。環境への取り組みは、そういう長期的な視点で考える必要があるんです」
SDGsウォッシュを超えて―本質的な取り組みへ
現在、多くの企業がSDGsへの取り組みを始めていますが、大川社長は最近の傾向に警鐘を鳴らします。
「お客様の反応は二極化してきています。SDGsを表面的に理解して、形式的な対応だけで終わっている層と、更により深い取り組みを目指す層です。私たちが増やすべきは、もちろん後者です」
ーーでは、本質的な取り組みとは具体的にどういうものでしょうか。大川印刷の例を見てみましょう。
例えば、同社では「卵の殻」を活用した名刺用紙「カミシェル®」を積極的に活用しています。国内で年間約25万トンも廃棄される卵の殻を有効活用することで、廃棄物の削減とCO2排出量の削減を同時に実現。さらに、この商品には「1箱につき1本のマングローブへの植樹」という、自然が豊かになっていくプラスの状態にしていく、いわゆるネイチャーポジティブの活動も組み込まれています。
「マングローブへの植樹は、海洋生物の多様性促進だけでなく、津波などの減災対策にもつながります。つまり、一つの商品を通じて、廃棄物削減、CO2削減、生物多様性促進、減災という複数の社会課題にアプローチできるんです」
ーーこのように、本質的な取り組みとは、単一の環境課題だけでなく、関連する複数の社会課題にも目を向け、統合的な解決を目指すものと言えます。
新たな挑戦の予感
しかし、大川印刷の挑戦はここで終わりではありません。むしろ、環境経営で培った知見を活かし、さらに新たな領域への展開を始めています。
「現在、私たちは『印刷しない印刷会社』という新しいコンセプトに取り組んでいます。これは単なるデジタル化ではなく、印刷技術とデジタル技術を組み合わせた新しいサービスの創造です」
ーー具体的にどのようなサービスなのか、その詳細は次回の連載でお伝えする予定です。ただ、ここでも大川印刷らしい特徴が見られます。それは、すべてのデジタル化プロセスを再生可能エネルギー100%で行うという点です。
「環境への配慮は、私たちのDNAのようなものです。新しい事業を展開する際も、必ず環境負荷の低減を考慮します。それが私たちの信念であり、強みでもあるんです」
サステナビリティ推進担当者へのメッセージ
この記事を読んでいる多くの方は、各企業のサステナビリティ推進部門で働いていることでしょう。日々の業務の中で、様々な課題や困難に直面されているかもしれません。
そんな方々に対して、大川社長はこう語ります。
「環境経営は、決して『やらされる』ものではありません。それは新しい価値を創造し、企業の持続的な成長につながる機会なんです。大切なのは、なぜそれに取り組むのか、その本質的な意義を見失わないこと。そして、できるところから、楽しみながら始めてみることです」

実践のためのチェックポイント
環境経営を始めるにあたって、以下の点をチェックしてみましょう。大川印刷の経験から得られた、実践的なポイントです。
自社の強みと環境への取り組みの接点を探る
環境経営は、既存のビジネスと切り離して考えるのではなく、自社の強みをより活かす機会として捉えましょう。大川印刷の場合、印刷技術とデジタル技術を組み合わせることで、環境負荷の低減と新しい価値の創造を同時に実現しています。
現場視点での効果を重視する
環境対策は、必ずしもコストではありません。例えば、大川印刷が導入した環境配慮型のインキや溶剤は、作業する労働環境や従業員の健康面でもメリットがありました。現場で働く人々にとってのメリットを意識することで、全社的な理解も得やすくなります。
具体的な数値と取り組みを「見える化」する
抽象的な目標ではなく、具体的な取り組みとその効果を示すことが重要です。大川印刷では、自社の屋根での太陽光発電(約20%)と風力発電(約80%)という具体的な数値を示すことで、お客様との信頼関係を築いています。
環境経営の本質的な意義を社内で共有する
単なる規制対応や取引先からの要請として捉えるのではなく、持続可能な社会づくりへの貢献という本質的な意義を共有しましょう。これにより、長期的な視点での取り組みが可能になります。
おわりに
環境経営は、時として困難な課題に直面することもあります。しかし、大川印刷の事例が示すように、それは同時に新しい可能性を開く機会でもあります。
特に印象的なのは、「好き」という気持ちから始まった取り組みが、結果として企業の競争力強化につながっているという点です。環境技術への純粋な興味が、新しいビジネスモデルの創造や、従業員の成長、お客様との信頼関係構築という具体的な成果を生み出しています。
サステナビリティ推進担当者の皆様にとって、すぐにできることから始めることが重要です。形式的な対応ではなく、自社らしい取り組みを見つけ出し、実践していくことで、必ず道は開けていくはずです。
次回予告
第2回では「印刷しない印刷会社への挑戦 ─デジタルと紙の共創が切り拓く新しい価値─」と題して、大川印刷の新しい取り組みについて詳しくお伝えします。
デジタル化支援から、100年史のアーカイブ作成まで、再生可能エネルギー100%で実現する新しいサービスの全容に迫ります。環境経営を基盤とした事業転換の可能性について、具体的な事例とともにご紹介する予定です。
